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[底]神が棄てたものたち

  • 2011-06-13 (月) 0:57
  • book

神の棄てた裸体―イスラームの夜を歩く』を読みました。久し振りのノンフィクションでしたが、かなりのめりこんで読んでしまいました。

神の棄てた裸体―イスラームの夜を歩く (新潮文庫)

 この本は、イスラム教圏の、低所得者層などマイノリティー階層の現実を、特に性の観点から見た本です。戒律の厳しい(とされている)イスラム教において、同性愛者や性転換者、あるいは売春婦は、どのように生きているのか。

 ひととおり読んでみて、ああ、タイでも同じようなことあるよな、というのがまず思ったことでした。タイは国民のほとんどが仏教徒、という国ですが、ムスリムも一定数います。学生時代にも、普通の生徒に混じってスカーフで髪を隠している女の子を何人も見かけました。さすがにグルカで顔まで隠している人は見ませんでしたが……。

 しかし、それとは関係なく、ストリートチルドレンも路上で売春をしている女性(一部はニューハーフ)はいるし、イスラム教と違って宗教上の理由で迫害を受けることは(見たところ)なく、社会的にも他国と比べれば認められつつあるとしても、やはりニューハーフは普通の存在ではありません。

 私は(学生でオカマやオナベの友人はいましたが)そういう層との交流はほとんどなかったので、実態は見た目から想像するしかできませんが、この本で描かれている姿が当たらずとも遠からずなのかな、と思えるような内容でした。

 作中で、「知りたい」の他に「何かできることをしたい」という目的で旅をしたと語られています。私も似たようなことを考えたことがあります。特にストリートチルドレンやスラムに集まってわずかな日銭で生きている人々に対して、自分が何をできるのか。
 結論は、直接的にできることはない、でした。生きている世界がまったく違うからです。

 私は元々バックパッカー志向やアウトドア志向はまったくない、インドア派の都市型人間です。周りがバンコクより地方に行きたいと言ってる中で、バンコクいいじゃん、と思ってました。それは裏を返せば、自分の住んでいる世界とは違う場所に行きたがる周りと勝手のわかる場所にいたがる私、という構図でもあります。
 そして、私の属している世界は、スラムや路上で暮らす人々の世界とは異なります。その垣根がまず大きな障害になります。

 ……まあ、ストリートチルドレンや売春婦とつながりを持つこと自体は簡単です。場所を選んで5分も歩けばすれ違いますから、話しかければよいのです。
 が、そうして垣根越しにコンタクトを取ることはできたとしても、それぞれが違う世界に住んでいるのは変わりません。そこを、何かしたい、程度の漠然とした思いだけで踏み越えることは私にはできません。ギアガの大穴にダイブする勇気はないのです。
 かと言って、その状態のままでは、おしゃべりをするか客になるかの二択です。いずれにしても、その人のために何かした、とは言えないでしょう。

 この本では、驚くほど深くまで人々の生活に食い込みながら、それでも向こうの世界から帰ってこられなくなる事態を怖れて身を引いてしまう姿が描かれています。普通はそうだと思います。そもそも「帰るつもり」で出かけているのですから。

 一方で、私の感覚では踏み込みすぎな言動もちらほらありました。一番わかりやすいのが、売春をしている子供に対して、そんなことはやめろ、と言ったこと。その子が騙されているのだとしても、それが生きていくための手段なのであれば、やめろと言うのは死ねと言うのと同じこと。自分が養っていくから、あるいは別の方法を示してあげるから、と続ければまだいいのかもしれませんが、少なくともそれが言えないのなら口を出す資格はありません。ただのわがままですからね。
 信仰に対して口を出すのも同様。私は両親の家が神道と仏教で、どちらかというと神道寄りですが、まぁ不信心もいいところですね。そんな人間が他人の信仰に口を出す(特に否定的な意見をする)のは無礼千万だと思っています。だから「信仰上の理由で許されない」と言ってる人がいたとして、家族レベルで親しくない限り、それがどんなに馬鹿馬鹿しいことであっても「そんなことを言う神様なんざ捨てちまえ」とは言えません。

 そんなことを言っていくと、他人であり旅行者である立場でできることは何もなくなってしまいます。それが垣根を越えられない私の結論です。

 人によって、立場によって、思うことや考えはいろいろだと思います。一緒にいる間だけでもケアすべきだという人もいるでしょうし、何も考えなくてもいいと思う人もいるでしょうし、人道支援や人権問題を仕事にしている方は何もできないじゃダメでしょう。政治家なら交渉や選挙に利用することを考えるかもしれません。
 何もできなくても、せめて何か考えること、できれば「どうすればこういうことが少なくなるか」をぼんやりとでも考えることが、間接的な私のできることかな、と、これも私の結論です。

 とは言え、ひょっとして直接的に何かできることはあるかもしれない。そう思って書いたお話が、まにふいくみやはかさんの合同誌『mnfikmyhk CREATURE MIXING 7』に掲載されます。別の記事でも書きますが、サイトにも PDF 形式で掲載されていますので、もしよかったら読んでみてくださいませ。

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