「あたしの音はここに」サンプル

  • 2008-05-03

被服室はいつも晴天

 金田高校軽音部の部室は校庭に面した運動部の部室の並びにある。部活棟と呼ばれているここは、簡易体育館のような飾り気のない部屋が長屋のように連なっていて、端っこにある軽音部以外は、運動部の部室が順番に並んでいる。
 唯一文化部で校舎の外に出された理由は、うるさいから、というシンプル極まりないものだ。だが、この部室には若干問題があった。
 一応そこそこの広さはあるが、一年の半分以上をバンド単位の練習で費やす軽音部の場合、あるバンドが練習している間は他の人が入れないのだ。正確には入ってもいいのだが、中のバンドにとっては邪魔だし、入った方も何かすることがあるわけでもない。
 そこで、いつの頃からか、特別棟の中でも校庭に一番近い被服室を部室のように使っている。荷物を置いておけなかったり大きな音が出せなかったりと不便もあるが、中のものをいじりさえしなければ部活時間中は自由に出入りできるので、常に人影がある。
 部長の高木と副部長の結城は、自分たちの練習時間以外は大抵ここにいる。それも、どちらか片方、ということはまれで、いつも二人一緒だ。
 例えばある日、春香と咲子がドアを開けると、珍しく二年生の尾田と一年生の田島しかいなかった。
「おー、ハルちゃんにサキちゃん」
「こんにちは」
 尾田がすぐに気づいて手をひらひらと振ると、咲子がぺこりとお辞儀をして挨拶を返す。春香は室内をきょろきょろと見渡した。
「あれ、部長たちは?」
「ああ、なんか高木っちが風邪引いたらしくてさ。今日は休み」
「結城先輩はお見舞いだそうだ」
 田島が言葉を継いだ。春香は感心したような呆れたような顔をした。
「ほんっと仲いいわね、あの二人」
「高木っち、別に一人暮らしじゃないのにね」
 尾田も似たような顔で言った。が、ふと何か思いついたのか、にまっと笑って隣の田島に話しかけた。
「ねえねえ、あたしがぶっ倒れたらリョー君看病してくれる?あたし一人暮らしだし、不安だなー」
「はいはい」
「うっわやる気ない返事!」
 入部してから三ヶ月。尾田にちょっかいをかけられるのにももう慣れた、というかむしろ疲れた、と言いたげだ。春香と咲子は話を聞きながら楽器の準備をしている。それを見て話に引き込むのを諦めかけた尾田に、田島がもう一言。
「ちゃんと部員総出で酒持っていきますから」
「ちょっとサキちゃん!この冷血男になんか言ってやってよ!」
「えーと……風邪の時にお酒は逆効果じゃないかな」
「そっち!?」
「大丈夫じゃない?恵美ちゃんなら酒飲みゃ治るわよ」
「ハルちゃんまでひっど!」
 春香は先輩の尾田を恵美ちゃんと下の名前で呼んでいる。別に知り合いだったわけではなく、単に自己紹介の時に「気軽に恵美ちゃんって呼んでね♪」と言われたので本当にそう呼んでいるだけだ。
 部長たちや春香と咲子はいつも二人一緒にいるのだが、尾田と田島も仲がいい。二人ともドラムなので、楽器という共通点はあるのだが、楽器の性質上同じバンドで一緒にやることはないし、中学で軽音部だった田島は高校から始めた尾田より楽器そのものはうまいのだ。当然、尾田が初心者に教える時にも聞く必要はない。
 それでも逆に尾田の方から相談したり、説明しづらい部分を代わりに教えさせたりして、気がついたらよく話すようになっていた。そしていつの間にか、尾田が田島をからかっているのがいつもの風景になっていた。例えばある日、一年生にちょっとした練習法を教えていた二人が被服室に戻ってきた。
「おや、今日も二人お揃いで」
 そう言って迎えたのは、二年生のキーボード、日野誠だ。小太りでいつも人の良さそうな笑みを浮かべた彼はバンドよりも自分で全部作ってしまう方が好きというタイプで、楽器を弾いているところはあまり見ない。それでも部室には手ぶらでちょくちょく顔を出すのである。
 尾田は日野の言葉にぴんとひらめいた。
「そうよー。ちょっと部室でリョー君に襲われちゃってー」
 わざとらしく鼻にかかった甘え声で答えて、ついでに田島の腕にするりと絡みつく。田島は途端に赤くなった。
「ちょっ……何言ってるんですか!」
「あ、ひっどーい。あんなに強引に入れておいて。あたし壊れちゃうかと思った」
「それボールペンのキャップじゃないですか!イヤらしい言い方しないでください!」
 田島は尾田を引っぺがすと、逃げるように日野の隣に座った。尾田はにやにやしながら結城の隣に腰を下ろす。
「恵美、田島君をあんまりいじめないの」
「だぁって、リョー君からかうと面白いんだもん」
「ひどい先輩に気に入られたなぁ、田島君も」
 そう言う日野も笑っている。尾田が思った以上にいい反応をしてくれて、ご満悦なのだ。
「日野さんだって同じでしょ」
 練習をしながら聞いていた春香がぴしゃりと言うと、日野はにっこり笑って「その通りだね」と言うのだった。
 日野と反対に、演奏は多くやっていても部室にはあまり姿を見せない人もいる。ベースの松山はその筆頭だ。本人が「俺以外にまともに弾ける奴がほとんどいない」と嘆息するとおり、ベーシストがなかなか入ってこないこの部では、松山は貴重な存在なのだ。自然とバンドを組む時には真っ先にお呼びがかかる。おかげで活動時間のほとんどをバンド練習に取られてしまい、あまり部室には姿を見せられないのだ。
 それでも単純に暇がないだけなので、時間が空けば姿を見せる。そして姿を見せると真っ先に咲子に声をかける。
「榎本さん、どうよ調子は」
「あ、松山先輩。こんにちはー」
 春香と並んで座っているのに咲子だけに話しかけるのは松山くらいだ。咲子は初心者とはいえ、すぐにも二年生を追い越さんばかりの勢いで成長している。待望のベースの後輩である彼女は自分にとってはとてもとても大事な存在なのだ、と本人は言っているが、端から見れば松山の真意はバレバレだ。
「そうそう、今度面白そうなライブがあるんだけどさ、一緒に行かね?」
「いつですか?」
「えーと、来週の金曜日の夜」
 ほら、とチケットを出してみせる。尾田がわざとらしく「夜ですって、イヤらしい」とか言っているのを一睨みで黙らせて視線を戻すと、春香も同じチケットをのぞき込んでいる。
「へー、すごいじゃない。これ人気なんでしょ?」
「おう。すげー人気。おかげで二枚しか取れなかった」
「すみません。金曜日はダメなんです。部活終わってから別の用事があって」
 咲子はすまなそうにチケットを松山に返す。
「んー、外せない?」
「はい。終わったら九時半くらいになっちゃいますから、それからだともうライブ終わってますよね」
「ま、まぁ、そりゃー終わってるだろうな」
 松山はなおも未練がましい風で、仕方なしにチケットをしまった。そこに後ろから日野が口を出す。
「ところで松山、そろそろ時間ヤバいんじゃないか?」
「ん?あ、ホントだ。じゃ、じゃあまた」
「はい。練習頑張ってください」
 咲子ににこやかに見送られ、それで少しは気分が明るくなって部屋を出て行く。
「ざーんねんでした」
「やかましい」
 追いかけてきた尾田のからかいを一言で蹴飛ばして、一応全員に向かって手を挙げると、すぐに姿を消した。
「忙しい奴ねぇ」
「仕方ないよ。あいつのおかげで大半のバンドは成り立ってるんだし」
 春香が嘆息すると、高木がすぐにフォローした。高木にとって松山は、咲子にとっての春香のように、経験の少ない自分を引っ張ってくれる頼れる友人だ。だから、直接的な手助けはなかなかできないにしても、できれば想いが実ってほしいとは思っているのである。尾田や日野にしてみれば、格好のネタでしかないのだが。

 特にイベントがない時はこんな風だが、しゃべってばかりいるわけではない。音が出せないからバンドでの練習はできないが、打ち合わせや個人練習なら十分できる。
 特に熱心なのは春香と咲子で、どうでもいいことをしゃべっている時でも楽器は出して抱えている。話が一段落すると、二人で部屋の片隅に並んで基礎練習をしたり、バンドでやる曲を二人で合わせたりしている。アンプにつないでいないので、誰かが笑ったりするとすぐに聞こえなくなってしまうが、春香が小声で歌ったりリズムを数えたりして、騒がしい時でも手を休めない。
「うちの部長よりもまじめなんだから偉いよね」
「うまくなりたいからね」
 春香はこともなげに言う。もちろん、あまり口にはしないが咲子も同じだ。咲子は初心者からのスタートで春香と比べるとずいぶん後れを取っているという自覚があるから、せめて春香と同じくらいは練習しないと釣り合わない、と思っている。
 尾田と田島は大抵被服室のすぐ外の廊下で練習台を叩いている。いつもは他人をからかったり自分でネタを作ったり、とにかく騒がしい尾田が、このときばかりはまじめな顔で田島に合わせてこなしていく。時々田島にアドバイスをもらう時も、真剣な顔で頷いたり質問し返したりしている。それが、他の一年生から質問されたり同じバンドの人から声をかけられた時など、ぱっといつもの笑顔になるのだ。
「先輩、別にまじめな顔だからって誰も怒ってるとか思わないと思いますよ?」
「んーん、あたしのチャームポイントは世界を魅了する極上スマイルですから」
 そう言ってにぱっと笑う。その笑顔は、世界を魅了できるかどうかはともかく、田島の目には確かに極上なので、何も言えなくなる。と、追い打ちで一言。
「へへー、リョー君魅了しちゃった♪」
 そんなやりとりがあって、また練習が始まるとすぐにまじめな顔に戻るのである。
 いちいち廊下に出ているドラム二人も面倒だが、一番面倒なのはボーカルだ。室内で歌うのは周りに迷惑なので、外に出されるのである。結城は練習するか、となると、おもむろに窓をからりと開けてひょいと乗り越える。制服だろうがジャージだろうがお構いなしだ。そして何事もなかったように窓を静かに閉めて、発声練習を始める。
普段はあまりそういうことをしないだけに、初めて見るとほとんどの人がびっくりする。それでもしばらくすると、一年生も真似して窓から出入りするようになった。
「部長、あれは彼氏的にどうなの?」
「別にいいんじゃない?いちいちぐるっと回るの面倒だろうし」
「……じゃ部長的にはどうなの?」
「別にいいんじゃない?他の部に迷惑かけてるわけじゃないし」
「……それって、さやかちゃんだから何でもいいんじゃないわよね?」
 もちろん、そんなことはないよ、と答えるのだが、日頃のラブラブっぷりを見ていると思わず疑ってしまうのだった。そんな春香もボーカルの一人なのだが、一緒に練習をしたことは一度もない。
「春香ちゃんもたまには外で一緒に発声しようよ」
「やーよ。出たり入ったりめんどくさいもん」
「いつもあたしと真由ちゃんだけじゃ寂しいじゃない」
 結城は折に触れてそうやって誘うのだが、春香はなんだかんだで一度も外に出たことがない。単に面倒だというのもあるのだが、一年生のボーカルの後藤真由がなぜか春香と距離を置きたがっているのを春香は知っているのだ。もちろん結城もそれはわかっていて、仲を取り持とうと誘い出しているのだが、春香の方はあまり歩み寄る気もないので、ここではもっぱらギターと向き合っている。

 五時四十五分になると、部活動終了のチャイムが鳴る。すると外で練習していた部員が集まってきて、また少し騒がしくなる。いつも被服室に来る面々は部室でバンドの練習をしていてもこちらに来るので、余計に人数が増えるのだ。
 十分後には全員が部屋を出て鍵を閉め、高木と結城が鍵を事務室に返しに行く。二人がいなければその場にいる二年生の誰かが持っていくのだが、二人がいる場合は他の部員は二人を待たずにさっさと帰ってしまう。尾田曰く、「二人の邪魔しちゃ悪いでしょ?」ということだ。
 自転車で帰る部員と校門で別れ、最寄り駅の改札でそれぞれのホームに別れる。日によって人数はまちまちだが、咲子と同じ方面の方が人数が多い。春香は逆方向なので、ここで別れることになる。
「じゃあまた明日」
「じゃねー」
 こうして六時半頃に改札の中で二手に分かれ、めいめい楽器を背負った集団はそれぞれの電車に乗り込んで家路に就く。

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