「あの空に似て」サンプル

  • 2011-10-30

冬の会話

 寒さがそれほどでもなくても、十二月ともなると日が落ちるのは早くなる。ベランダでぼんやりと外を見ていた岩佐奈美は、夕焼けの名残がすっかりなくなった頃になって、教室に入った。
 運動部の声が遠くから聞こえてくる他は静かな静かな空間。自分の席に腰を下ろした。椅子を引く時のかたん、という音が部屋中に響く。それを気にも留めず、かばんに抱きつくように、また静止した。
 何もない世界に行っていた意識が、チャイムの音に引き戻される。マフラーをふわりと巻いて、教室を出た。
「あ、岩佐さーん」
 部活終わりの生徒たちで賑わう昇降口の外、少し外れたところに立っていると、中の一人が奈美に駆け寄ってきた。その顔を見て、奈美は顔をほころばせた。
「小林君」
 ラケットバッグを背負った、優しい顔の小柄な少年。奈美の恋人の小林和馬だ。
「行こっか」
「うん」
 テニス部の和馬は、部活がある日は六時頃になる。奈美は、親友の石井素子や他の友人たちの誘いがない日は、その和馬を教室で待って一緒に帰ることが少なくなかった。
「さっきね、四時くらいかな。素子が帰ってくところ見たの」
「上から?」
 頷く奈美。和馬ももちろん、奈美がベランダに立ったまま、放課後をずっと過ごしていることは知っている。
「あれ、でも今日は部活の日じゃなかった?だから岩佐さん待っててくれたんだもんね」
「うん、そのはずなんだけど。それでね、男子と一緒だったの。後ろからだと誰だかわかんなかったんだけど……」
「へえ」
 和馬は目を丸くした。奈美と素子が話しているところは、同じクラスでもある和馬はよく見ている。いつも他人の恋愛話に興味津々だが、自分のことは話題にするのを避けているようにも見える。その素子自身に彼氏ができた、というのは、なんとなく不思議な感覚なのだ。
「後ろ姿かぁ。俺も卓球部は知ってる人ほとんどいないし、わかんないだろうな。仲よさそうだった?」
「うーん……わかんない。別に手を繋いでたり、くっついてたりしたわけじゃなくて、普通に並んで歩いてただけだったから」
 そう言って、奈美はふと自分たちの手元を見た。お互い下げた手の甲が触れるか触れないかの微妙な距離。付き合いだしてから一ヶ月で、お互いの肌に触れたのは数えるほどもない。そっと視線を動かすと、同じタイミングで自分を見上げた和馬と視線が絡んだ。

 駅までの間、二人にそれ以上の会話はなかった。ぎこちなく、指を絡めるようにつないだ手の冷たく暖かな感触だけで充分だった。

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